小市民ブログ

KelloggってMBAを出てアメリカで移民サバイバル生活をしています。サウナが好きです

日本人のアメリカ移民の歴史

アメリカで生活しているとつくづく感じることとして、日本のバックグラウンドを持つ人がとても少ないということがあります。中国人やインド人の方が圧倒的に数が大きいのは人口比を考えると已む無しとしても、日本人より人口が少ないはずの、韓国人の方が遥かに大きなコミュニティを形成していることに気付きます。

それはそういうものとして流しても良いんですが、日本人の在米の移民はなんで少ないのか、過去を遡っても少なかったのか、日本人の移民はどこに渡ったのか、といった薄っすら興味を持っていたことを、サクッと調べてみたので学んだことを書き残しておきます。

元ネタは以下2つです。

第1章 前史 ブラジル移民がはじまるまで(1) | ブラジル移民の100年

日本人の移民の大きな流れ

日本人の移民は明治維新と共に始まります。鎖国と言うと海外からの影響を制限する方向でイメージしてましたが、日本の物品や人の輸出を制限する方向にも作用しており、江戸時代には日本の一般人が海外に移住することは無かった様です。明治元年、最初の移民の行き先は、アメリカに組み入れる前のハワイとグアム。その後ハワイ王国とは協定も交わされ、日本人の移民が19世紀後半に海を渡りました。移民の動機は、お金。

移民たちは移民募集人の宣伝を信じて、誰も彼も皆大きな夢に酔っていた。そのあるものは五年稼いで五万円持って戻るといえば、他の一人は、いや俺は十年おって十万円儲けるまでは帰らないと頑張った。もうそうした大金を握ったような風である

日系人の歴史を知ろう』より

明治期の農村は困窮を極め、子供も多い。都市化が進展する中でも、農村の余剰となった労働力を吸収するほどの仕事は無い。そんな中で、貧しい農村部の子弟が、一攫千金を夢見て、海外に渡った様です。行き先の人気は給料と比例しており、北米→ブラジル→ペルー、という順だったそう。

20世紀初頭、増加する日本人移民に対する懸念が広がり、日露戦争後は黄禍論も唱えられる様に。そして、アメリカ・カナダ・オーストラリアといった国々が移民を制限する方向に動く中で、代わりの行き先として目されたのがブラジルとボリビア。19世紀後半に奴隷制が廃止となったブラジルでは、プランテーションのOwner達が代わりの労働力を求めていました。移民して一攫千金を臨む日本人と安い労働力を求めるブラジル人のニーズが一致し、日本人の移民が20世紀初頭から増え始めました。Easy moneyを想像して日本の津々浦々から来たものの、実態は奴隷の置き換え。それに気づいた移民達は、次第に自分たち自身が農場を経営しないと豊かにはなれないと悟り、ジャングルを開墾。川に近いと米が取れると選んだ土地で、マラリアが蔓延して死者が続出する等、当初は大変な困難に見舞われるも、農場経営に成功する者も現れ始め、次第に経済力を伸ばしていった様です。

日本人のブラジル向け移民が急増したのは、1920年代。関東大震災後の救貧対策で政府が補助金を出し移民を奨励したこともあり、移民が激増。1925年から1941年までの間に、12万人ほどがブラジルに渡りました。1933年に満州事変が発生した多くの日本人の行き先は満州国となったことから、南米への移民は一服。戦後にブラジル向け移民は再開されるも、日本の経済発展とともに60年代以降は数も少なくなり、逆に80年代からはブラジルの不況を逃れ、ブラジルの日系人が日本に移民してくる流れが出来ました。

雑感

概ね経済状況で移民ニーズの大きさが決まり、受入国の政治状況で移民の数が決まる

冒頭に書いた問い、「日本人の移民は過去に遡っても少なかったのか」に対する回答は、明治維新〜戦前までは移民は行われており、特に1920年代は多くの移民が南米に渡ったことが分かりました。移民の動機はシンプルに経済的な事情であり、戦前の貧しい農村に対して、相対的に所得が高かった(少なくともその様に思われた)北米や南米への移住が行われました。一方、戦後の日本からの移民が増えなかったことは、日本の高度経済成長の帰結と言えそうです。

令和の現代に目を向けると、自分自身も給与水準がより高いアメリカに渡っていますし、日本でも「海外出稼ぎ」がテレビやネットで取り上げられることが増えている様です。給与格差が開いたので移民の機運は久方ぶりに日本社会で高まっているとも言えそうですが、戦前とは出生率が全然違うので、海外で大きな日本コミュニティを形成するようなことにはならなさそうです(日本は寧ろ人手不足)。

移民が労働力を供給し税金を払うのは概ね受入国にもポジティブという考えがアメリカやカナダ、シンガポールといった移民が多い国では強いと思われますが、受け入れにも限度はあり、時の政治によって排他的な政策が取られると、一気に激減するということも分かりました。

ハワイを除くと、アメリカにまとまった移民があった時期はそんなに長くない

明治維新後に日本人の移民がスタートし、アメリカ本土行きの移民が増えたのは1900年頃。その後すぐに移民を制限する方向にアメリカは動き、且つ1930年代は前述の通り満州国への移住が増えたことから、戦前の日本人が、アメリカ本土に大挙して移民した時期は然程長くない様です。日本人の移民が歴史的にピークを迎えた1920年代、北米行きのルートが断たれていた日本人は南米に流れました。他の国の移民の歴史は調べられていませんが、戦後、政治的・経済的な理由で大勢の移民が押し寄せた/押し寄せている中国やインド、ベトナム中南米とは、かなり様相が異なると想像されます。勿論、仕事や結婚等でアメリカに移る人は一定程度はいつの時代もいたのでしょうが、国内の状況に起因して一斉に人が流れていく移民とは、コミュニティの形成され方も違いそうです。絶対数もそうですが、在米の日本人の連帯感が弱い背景には、個々人特有の事情でアメリカに移ってきているケースが多いから、という仮説も立ちます。

情報ソースを分散していないと、プロパガンダに人は簡単に流される

ブラジルの日本人移民の歴史を追っていると、根拠の乏しい情報に踊らされる人々が多数現れます。太平洋戦争開戦後、蚕をアメリカに売っている人間はアメリカの軍服の素材で金儲けする「国賊」として、「天誅組」というグループの襲撃にあったそうです。特に印象深かった事件は、日本語の「勝ち組」「負け組」という言葉の語源となった、第二次世界大戦後の混乱に関わるものです。日本の敗北を告げる玉音放送はブラジルでも聞かれたそうですが、そういった情報を都合よく解釈し、日本は本当は敗戦していないと信じたグループを「勝ち組」、敗戦を受け入れたグループを「負け組」と読んだそうです。戦争下、邦字新聞が廃刊となり、唯一の情報源が日本語で華々しい戦果を発信するラジオ放送。ブラジルでも敵国人として扱われ差別に遭う中、多くの「勝ち組」は日本語情報を信じ続け、逆にその他の情報を受け付けなかった言います。一方、「負け組」の多くは現地の情報にも触れる知識人が多かった様です。驚くべきは、「勝ち組」が日系人全体の9割にも上ったと指摘されていることです。

インターネットの世の中とはなりましたが、同様のリスクは現代にも潜んでいる様に思います。過去、留学していた時に中国でテレビをつけると日本軍を打倒する中国軍もので溢れてましたし、日本のニュースにおける中国の扱いも好意的とは言えないものが多いでしょう。アメリカでも、右寄り、左寄りで扱うニュース違えど、反中国、反露といった点では一致している様に思います。

移民家庭のアイデンティティは世代によって大きく異なる

ブラジル移民の親世代はゴリゴリの日本人。子供も日本人として育てられるも、「日本人でありブラジル人」といったアイデンティティを形成し、更に世代を下ると、日本という部分がどんどん小さくなっていく様が読み取れます。「日本」という国としてのアイデンティティが薄まる一方、人種は個人についてくるので、人種としてのアイデンティティが残っていくのかな、とも思います。アメリカにいる白人の多くは、アイルランド系とかドイツ系というより、白人のアメリカ人と自認している様に、アジア人も徐々にアジア系アメリカ人、という枠組みで自己を捉える人が多くなるのかな、と思いました。

(追記)アジア各国からのアメリカへの移民の数

上記を書いてから、興味を持ってアジア各国からの移民の数と、各種データソースから集めてグラフにしてみました。手打ち部分もあるのでデータの質は保証できませんが、トレンドを抑える上で結構面白いデータだと思います。ソースは全部は載せませんが、以下の様な、ネットで見つけたUSのCensusから数字を拾っています。

https://digitalcommons.kennesaw.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1090&context=jgi

まずは戦前から。ゴールドラッシュの最中、カリフォルニアでの鉱山での労働に従事した、中国人の移民が19世紀後半に増えます。が、1882年のChinese Exclusion Act成立以降、中国人移民の数は頭打ち。その後、1900年頃から日本人の移民が増え始め、1910年には中国人移民の数を上回る。1924年にImmigration Actが成立し、日本からの移民の頭打ちに。戦前は、韓国系、インド系の移民はかなり限定的なものだった様です。

続いて戦後。1970年までは日本人が最大グループだった様ですが、1980年に中国人に抜かれ、2019年時点では中国系、インド系、韓国系よりも日系の数はかなり少なくなっています。アメリカの移民政策が大転換を迎えたのが1965年のImmigration and Nationality Act。この法律の成立前はアジア系の移民は制限されていましたが、その制限が廃止となり、以降、中華系、インド系の移民が激増します。

日系移民の数が戦後然程増えなかったことは私自身の想像が入りますが、1965年といえば日本は高度経済成長の真っ只中。2000年代に至るまでアメリカとの所得の差は然程大きくなく、移民するインセンティブが相対的に弱かったことが想像されます。2024年となりアメリカとの所得格差は足元大きくなってきていますが、少子化・言語面でのハードル・治安含めた生活面を考えると、今後も日本人の移民が劇的に増える可能性は小さそうです。韓国も同じ道を辿ると思われ、続いて中国の移民も頭打ちになるのかもしれません。