小市民ブログ

KelloggってMBAを出てアメリカで移民サバイバル生活をしています。サウナが好きです

全てが日常に堕す人生をどう気分良く生きるか

いつも通りお気に入りのPodcastのHidden Brainを聴きながら家の近所をブラブラしていたところ、UC Riversideの教授の方が「このPodcastを聴いてる人は紛争地帯にいたり極度の貧困にあるわけでもないと思うが、だとすると、今より幸福度が大きく上がるとは思わない方が良い」との話をされていた。これは何だか、本当にそうなんだろうなあと思わず膝を打ってしまった。人間誰しも日常を生きていて、何か劇的な変化が人生にあっても、それが新しい日常になるだけだなと、最近常々感じている。

過去数年を振り返ってみて、アメリカのMBAに進学、コンサルやファンド、スタートアップでインターンワシントンD.C.で就職と色々あったが、それぞれ決定した瞬間は嬉しかったものの、喉元過ぎればそれが日常となり、同じことの繰り返しに結局なってしまう。

先述の教授が同じPodcastで、英国のヘンリー王子と結婚したメガンマークルさんが、結婚後の不自由を嘆いていたことについて言及していた。世界中の人が、王女になったらどんなに素晴らしい生活だろうかと夢見るが、王女だろうが平民だろうが、一定のルーティンの中を生きているのである。

彼女と私自身のちっぽけな人生など比較するまでもないが、頑張った先にある、のっぺりとした人生を生きていると感じることがある点については、きっと共通しているのだろう。人から見てどんなスペシャルな人生を歩もうと、個人視点では日常を生きることになる。それが幸せなのかってよく分からなくもなるし、自分の色んな選択が正しかったかも自信無いのが常である。周囲を見回しても、沢山の人が年収や就職偏差値が高い会社みたいな、外的な指標に基づいて精神の安寧を得ている様に思われる。自分自身も、何が良いか分かんないので、とりあえず皆が良いって言ってる商社に就職してみたり、最近でもとりあえず皆受けてるコンサルや外銀やPEを受けたりしていたので、全く他人事ではない。

人生を刹那の連続として捉える

思えばMBA受験以降特に、どんな人生なら充足感があるか、みたいなことをずっと考え続けている。MBA受験中にStanfordの方とCoffee chatした時に、「アメリカ人はどうやったら幸せになれるかみたいなことを常に考えてばかりの、異常者の集まり」と仰っていたが、アメリカ生活も3年目に差し掛かったところで自分もそうなっていたというオチである。

最近強く思っているのは、人生を一瞬の刹那の連続として捉えることが大事だという点である。上司に罵倒される瞬間やサウナで恍惚感を得る瞬間、仕事のオファーが出た瞬間や彼女にフラれる瞬間が人生では絶え間なく発生しており、無数の瞬間の束を我々は人生と呼んでいる。

何か目標を達成したり、FIREしたり、年収が1000万円になったり、地主に生まれても、我々はすぐに新しい状況に慣れてしまう。豊かになると不幸な瞬間が少し減るかもしれないけど、必ずしも幸福な瞬間が沢山待っている訳ではない。

そう考えるならば、息を呑むような瞬間、感情を揺さぶられる瞬間、深くリラックスした瞬間等、ポジティブな瞬間が沢山あるのが良い人生では無いか、と自分は捉えている。その為に気をつけていることは幾つかあって、例えば以下を意識している。

  • 自分にとって良い瞬間をもたらしてくれる物事を理解して、意識的に時間を割く(自分にとっては、家族や友人との時間、サウナ、筋トレ、旅行、好きな音楽、文章を書くこと、他人の悩み相談など)。特に、人との繋がりから得られる充足感は大きいので、大切にする
  • 仕事は時間の割合が大きくなるので、好奇心が満たされ、会社に行くのが楽しみになる仕事を選ぶ。また、極度に長い労働時間は他の大切な時間に干渉するので、避ける
  • 人生をサインカーブと捉えて目標設定、達成のループを回していく

    人生はサインカーブ: 日本経済新聞

Kelloggの卒業式が終わって、卒業生達が写真撮影に繰り出している中で、友人の一人がスクリーンショットを見せてくれた。これは何かと聞くと、タイ人のMBAコミュニティで大変にシェアされてる言葉らしい。彼が見せてくれたiPhoneの画面上には、”Life isn't measured by how successful you are, but by how many breathtaking moments you have”とあった。

卒業式でDeanや学生代表が話していたメッセージは記憶の彼方に行ってしまい残っていないけど、このスクショ自体は自分の中に未だに焼き付いている。限りある人生で、Breathtaking momentを沢山得られる様に、今後も精進したいものである。