小市民ブログ

KelloggってMBAを出てアメリカで移民サバイバル生活をしています。サウナが好きです

インドのカースト制度と受験事情から考える、平等な教育システム

海外で過ごす中で、アジア人の教育にかける熱と、序列・Prestiageみたいなものに対する感度は他の人種を明らかに上回っていると感じることが何度かありました。アメリカではアジア系の親のことをTiger parentsと称し、子供がテストで良い点を取らないと我慢ならない、とのステレオタイプがありますが、概ね当たっているのではないかと思います。

インドはまさにTiger parents的世界観の典型で、ISBに来る前、Kelloggのインド人同級生のお父さんに交換留学する旨を話したところ、「ああ、インドで(IIMに次ぐ)2番目のビジネススクールだよね」と即答されました。ISBの開校は20年前ぐらい、且つNY在住が長いとのことでご本人にも子供にも関係無いはずですが、国内外のトップ校の序列については、アップデートされて頭に入っている様で、これがTiger parents…と驚かされた経験の一つです。今日はそんな、インドの受験事情についてのお話です。

Reservationという仕組み

インドの受験事情をISBの同級生と話す中で、真っ先に言及されるのがReservationの話です。Reservationとは、大学や政府機関の就職にあたり、所属カーストや家庭の所得水準に応じて割り当てられている枠のことです。仕組みについては、以下サイトに分かりやすくまとまっていました。

以下表の内、SC(Scheduled Castes)・ST(Scheduled Tribes)はカーストシステムの枠外に位置づけられて差別を受けていた人々、OBC(Other Backward Class)は低カーストで差別を受けてきたものの、SCには属さない人々を指します(EWS:Economically Weaker Sectionはカースト上はReservationの対象とならない、貧しい人々の枠)。カーストに基づく枠が49.5%とほぼ半分、所得に基づくEWSも足して、インドでは59.5%が純粋な学力競争だけでは決まらない枠となっています(更に、州によってはもっと枠が大きいケースもある様です)。

f:id:shoshimin:20220114193109p:plain

(引用元:Clearias)

これらは政府関連の職業の他、日本で言う国立大学(Government Educational Institution)にも適用されるため、日本でも知名度の高いIITや、文系版IITであるIIMでも適用されます。日本で言えば東大や京大の枠の60%弱が枠取りされている様なもので、凄まじい話だと思います。

ISBはと言うと、私立の学校の為Researvationは無く、それだけに表立って話題に挙げやすい、という面もある気がします。ルームメイトにReservationについてどう思う?、と聞いたときは「They're not dumb, but…」と、かなり複雑な胸中を語ってくれました。ネットの掲示板を見てみても、以下なんかでは「Low IQのSC/STが入学している」「SC/STはFailの確率が顕著に高い」と、かなり強い言葉での批判が見られます。

インド以外の受験事情

特定のバックグラウンドに基づいて優遇する、という考え方は日本ではあまり馴染みが無く、例えば東京との教育格差が大きい県や、所得が少ない人を優遇する、という議論がなされているのを、私個人は聞いたことがないです。「親ガチャ」なんて言葉が流行したり、学歴フィルターの存在が話題になったりするのも、「全員に同様の機会が与えられるべき」という考え方が根強いことの裏返しではないでしょうか。しかし、インド以外にもGDPが大きい国の受験制度を見ていくと、寧ろ日本が珍しい様にさえ思われます。

米国は人種に基づくAffirmative Actionが有名ですが、大学関係者の子息は顕著にトップ大学への合格率が高いこと等が指摘されています。

中国でも、大学の枠は生まれた省に応じて決まっており、北京・上海といった大都市は北京・清華といったトップ大学の合格率が高い一方、江蘇省での受験は「地獄式」等と称され、極めて難易度が高い様です。

f:id:shoshimin:20220114201235p:plain

生まれによる受験時の取り扱いの違いをどう考えるか

この様に、インド含めて色んな国の受験事情を見ていくと、基本的に受験者全員が同じ試験を受け、同じ合格点で評価される日本は寧ろ珍しいことが分かります。私自身、日本の教育システムで育ってきた人間なので他国の話を聞く度に違和感を覚えてしまうのですが、今は、「枠」が存在する背景や社会的な意義を考えて、個別に考える必要があると思っています。アメリカの黒人差別やインドに於ける被差別カースト等、歴史的に不利な立場に置かれ、経済的にも困窮しているセグメントへの是正措置としての「枠」と、既得権益的で不合理な「枠」については、きちんと区別する必要があると感じます。インドについて言えば、ここで目にする凄まじい貧富の格差や、カーストと職業が紐付き人間の価値自体にランク付けがされている様にも感じる差別を目撃した身として、Reservationの存在はやむを得ないものかと思います。

他国の事例を見ていくと、自分自身は日本に生まれたことを幸運に思う必要があると改めて思わされます。地方の中流家庭に育ち、そこそこテストが得意というだけで東大や海外MBAという機会を得ましたが、それは当然のものとして享受すべきことではないと思います。また、各国それぞれに差別とその是正に関わる歴史があると考えると、そういったものに比較的無頓着な人間であることを自覚して、海外の人と接する時には言葉に気をつけていきたいです。